道征くかつどん旅

日本各地を旅したり,ダート林道に赴いたり.

思いを馳せて(日本一周17日目)

みなさんこんにちは、かつどんです。

ここ数年見られなかった秋を肌で感じることができてニコニコです☺️



17日目(10月15日)


前回の終わりに書いた通り、快活CLUBで漫画をぶっ通しで読んだせいで一睡もせず朝を迎えることに。

流石にオールは耐えられこそしますが結局しんどいことには変わらないので目的地付近まで進んだ先で寝ることに。

道の駅大谷海岸はまなすステーションで昼過ぎまで約6時間ちゃんと睡眠をとりました。

写真は朝ごはん?お昼ご飯?のカップ麺。美味しい。

まぜそば・油そばが大好きなのでカップ麺もラーメンやうどん、焼きそばではなくこう言った系統のものを食します。ただの猫舌とか言わないで🤫




本日も震災遺構を巡ります。

まず向かったのが旧気仙沼向洋高等学校である気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館。

前日訪れた荒浜小学校同様、当時の風景がそのまま残されています。




この震災遺構で最も有名な箇所。

建物3階にも関わらず、校舎内に車が残置されています。

説明パネルの通り、なんと建物4階に達する12mの大津波が校舎を飲み込みました。

それにより、3階という普通なら有り得ない場所に車が運ばれることとなりました。




改めて、異様な光景です。

人智を超えた大災害であることが感じられます。




こちらは更に上がって4階。

津波により海水に浸された部分が顕著に錆ています。

生徒は高台へ避難し、残った教職員および工事関係者は屋上へ避難したことよりこちらも犠牲者を出すことは無かったそうですが、もし4階へ避難していたらと思うとゾッとします。

4階まで達するなんて誰も予想出来なかったですからね。




同じく4階の教室。

散っているスポンジのようなものは、流されてきて校舎に衝突した冷凍工場建物内の部材だそう。




こちらがその冷凍工場衝突時に抉られた外壁。

幸運にも正面衝突に至らなかったのでこの程度で済んでるとも言えるそうで、もし正面衝突してたらどうなっていたことやら…




校舎屋上より眺める体育館跡。

右手の建物がほぼほぼ飲み込まれてしまう12mの大津波からしたら体育館なぞちっぽけなものでしょうね。




引き波の時に引っかかった車達。

何台もの車が折り重なるように密集していました。

パネルは校舎と生徒会館に挟まった家屋。

上階部分のみが綺麗に分離され、建物間に挟まっています。

ここに居た人は本当に生きた心地がしなかったでしょう…




こちらは伝承館駐車場の一角に置いてあった作業車。

堅牢なはずのトラックがくしゃくしゃにされてしまっている。




まるで原型を留めていません。


冷凍工場で減衰されたにも関わらず12mに達する大津波に襲われた校舎のありのままの姿を見ることができるので、震災と無縁だった人は是非1度足を踏み入れて欲しい場所です。

シアターにて観覧できるビデオも是非見て欲しいなと思います。




伝承館を後にし、R45に戻るすぐ手前にて何やら見慣れないものがあり、もしやと思い写真撮影。

元々線路があった部分をバス専用道に替えて運用しているBRTですね。

バーのすぐ奥が広くなっていますが、元々駅だったのでしょうか。




反対側。

こちらは終始1車線です。

元々ここを列車が走っていたのだなあと、震災前の姿に思いを馳せます。




その後、車を走らせて閉館間際に滑り込みで高田松原津波復興祈念公園内にある東日本大震災津波伝承館へ。

写真は破壊された消防団の消防車。

東日本大震災では、水門閉鎖や避難誘導等に尽力した結果殉職された消防団員の方々が多く居たとのことです。

多くの人々の命を救った方が助からなかったと聞き、非常にいたたまれない気持ちでした。





震災遺構でも特に有名であろう奇跡の一本松。

震災前の写真を見ると、一本だけでも残った奇跡がより強く感じられます。




一本松の奥に見えるのが陸前高田ユースホステルです。

荒浜地区住宅基礎でも見られたのですが、津波の波先端が地面に着く時に砂地を深く抉ることで大きな窪地が生み出されてしまっています。結果、1部だけ地盤沈下したような状態となり建物がひしゃげてしまっています。




見るも無惨な姿に成り果ててしまっています。

しかし、この建物があったおかげて奇跡の一本松が生み出されたと言われています。


その後、道の駅みなとオアシス みやこ シートピアなあどへ移動し就寝。

次回はジオスポットを巡ります。


それではまた。

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